さて、週刊医学界新聞に執筆させていただいた「トホホ留学記」、少し前にもリンクを張らせていただきましたが、編集部より許可をいただき、以下に全文掲載させていただきます。週刊医学界新聞の皆様、誠に有り難うございます!ちなみに、元原稿へのリンクは
です。(以下、編集部の許可を得て転載)
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こんなことを聞いてみました
①研修医時代の“アンチ武勇伝”
②研修医時代の忘れえぬ出会い
③あのころを思い出す曲
④研修医・医学生へのメッセージ
①研修医時代の“アンチ武勇伝”
②研修医時代の忘れえぬ出会い
③あのころを思い出す曲
④研修医・医学生へのメッセージ
①学生時代から英語は得意なほうで,少しは英語ができるつもりで米国はニューヨークにて臨床留学を始めたのが今から15年ほど前のことです。いざ研修が始まってみるとさあ大変。相手の話し掛ける英語がとんとわからないのです。
最初のローテーションは救命救急室でした。相手のしゃべる英語のスピードがあまりにも速すぎるのに驚きました。「これは嫌がらせではないだろうか? そんなに『わざと』早くしゃべったら相手は聞き取れないだろうに」と勝手に憤っていました。しかし,不思議なことにその「わざと」速い英語を他の人はちゃんと理解しているのです。謎は尽きませんでしたが,しばらくすると,相手のしゃべる英語が速すぎるのではなくこちらの聞き取り能力が悪すぎるのだ,ということが薄々とわかってきました。えらいこっちゃです。
当時の入院カルテはまだ紙で,数ページにわたる空欄を埋めねばなりませんでした。「いったいこの膨大な空欄を英語でどのように埋めろというのだ! 症例報告じゃあるまいし,大学入試だってこんな長文は書かされたことがないのに!」と理不尽な怒りに震えたものでした。周囲を見回すに,同僚はいかにも「ルーティン」と涼しい顔でさっさと入院カルテを書き終えていくではありませんか。こちらはまだ現病歴を書いている途中。え,ひょっとして僕って落ちこぼれ?
症例をプレゼンすれば,目の前の指導医やレジデントが明らかに不機嫌になっていくのがわかります(きっつー)。米国人の同僚のプレゼンが光り輝いて見えました。おまけに,英語で電話をかけるのが怖くて(←あなた米国に何しに来たの?),同僚や看護師さんに電話をお願いする始末です。
「お前の英語はなっちゃいねえ1)」と内科プログラムディレクターに呼び出しを食らったのは留学が始まって1か月がたとうとするころでした。あ,やっぱり?
忙しい病棟ローテーションを回る予定が,暇な老年科コンサルトローテーションへの変更をいきなり命じられます。要は「左遷」です。おまけに「英語をもう少し勉強せい!」と英語の家庭教師までつけられる始末。留学早々に惨めな日々を過ごすはめに。まさか臨床留学が語学留学に変わるとは……。病棟で忙しく働く同僚たちが実に輝かしく見えました。
このまま病棟に戻れなかったら,ひょっとして首? 渡米してから半年ほどは英語におびえ,首におびえる暗黒の日々を過ごすことになります。
死に物狂いでなんとかサバイブしたインターンの1年を終え,気付けば早いもので留学してから15年がたちました。指導医となった現在,「英語でいかに苦労し落ちこぼれだったか」という記憶は都合良くeraseした上で,映画『GHOST IN THE SHELL』(2017年)よろしく「自分は実にいけていた研修医だった」という偽の記憶が上書きされています。したり顔で研修医に「君の症例報告は英語がまだまだ甘いねえ」と百年も前から完璧な英語を使ってきたような口調で指導しているのですから,人間というのは実に都合良くできているものです。時々子どもたちの「15年も米国にいるのに,なんでそんなひどい英語しゃべっているの?(きっつー)」という「赤いカプセル」2)で目が覚めますが。
②落ちこぼれインターン時代には人様の優しさが殊更身に染みました。たどたどしい英語でプレゼンしてもニコニコ聞いてくれた指導医(はぐれメタルレベルで極まれに出現)の存在は本当にありがたかったです。
中でも当時ICU部長であったPaul H. Mayo先生(現・米ホフストラ大教授,写真)には本当に優しくしていただき,なぜか目もかけていただきました。そのおかげで「わかる人はちゃんとわかってくれるんだ」と妄想に拍車が掛かりましたが。
写真 研修医2年目の冬のパーティーにて,指導医のPaul Mayo先生(中央)と。右が南氏。「師匠はカメラの前では笑わないという謎の方針を貫かれています。」(南氏) |
当時は「喘息の専門家」だったMayo先生も今ではCritical Care Ultrasonographyの世界的権威となり,その関係で学会などで一緒にお仕事をさせていただいています。自分のClinician Educatorとしてのロールモデルで,今でも仕事をするたびに臨床家,教育者としての彼から学ぶことは実に多いです。ありがたいことです。
③ニューヨークでの研修医1年目に見た映画『Lost in Translation』3)(2003年)は忘れられません。異国の地,トーキョーで言葉がわからず戸惑う主人公にわが身を重ね涙したものでした。コメディー映画ですが。あ,テーマは音楽の話でしたか? すみません。映画のサウンドトラックを聴くと「暗黒の1年」がよみがえります。
④ボストンで働く南米出身の友人医師とお昼ご飯を食べながら話した時のこと。彼も外国の医学部を卒業し,非常に苦労して現在の地位までたどり着いた素晴らしい人です。「ほら,毎日嫌なことばかり起こるし,うんざりするし,愚痴も言いたくなるんだよね。でもさ,こうして米国に来て働けているだけでもラッキーじゃん,って思うようにするんだよね,ハハハー」という感じでさらっと言われてすごく衝撃的でした。
確かに。思い返せば医学部に入れたのもすごくラッキーだったし,無事卒業できたのもすごくラッキーで,こうして医師として働き続けることができているのも実にラッキーだなあ,って思います。ご参考になれば幸いです。
註
1)明治・大正時代を代表する日本の英学界の巨人,斎藤秀三郎は英国人に向かって「てめえたちの英語はなっちゃいねえ」と英語で一喝したそうです。日本人が英国人に向かってですよ? 一度でいいからそんな台詞を吐いてみたいものです。斎藤兆史著『英語達人列伝』(中央公論新社,2000年)から。ちなみにこの本,すごく面白いのでお薦めです。
2)映画『The Matrix』(1999年)より。ちなみに青いカプセルを飲むと,マトリックスの提供する妄想世界に逆戻り。
3)ヒロインを演じるスカーレット・ヨハンソンは,くだんの映画で「米イェール大を卒業した才媛」という設定で当時輝いていたのに,今では実写版『GHOST IN THE SHELL』やマーベル・コミックの映画で,アクション女優として「あちょー」と蹴りをかましています。
1)明治・大正時代を代表する日本の英学界の巨人,斎藤秀三郎は英国人に向かって「てめえたちの英語はなっちゃいねえ」と英語で一喝したそうです。日本人が英国人に向かってですよ? 一度でいいからそんな台詞を吐いてみたいものです。斎藤兆史著『英語達人列伝』(中央公論新社,2000年)から。ちなみにこの本,すごく面白いのでお薦めです。
2)映画『The Matrix』(1999年)より。ちなみに青いカプセルを飲むと,マトリックスの提供する妄想世界に逆戻り。
3)ヒロインを演じるスカーレット・ヨハンソンは,くだんの映画で「米イェール大を卒業した才媛」という設定で当時輝いていたのに,今では実写版『GHOST IN THE SHELL』やマーベル・コミックの映画で,アクション女優として「あちょー」と蹴りをかましています。
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