「大学村スノビズムの攻防」は村上春樹氏の「やがて哀しき外国語」という本の中の1エッセーで、村上氏がプリンストン大学にいた頃の事を書いたものですが、今日久しぶりに読み返してみたら実に面白かった。再発見というものがちらほら。
以下抜粋・・・
そういう見地からすると、アメリカという国は日本なんかよりもずっと階級的な身分的な社会なのだという気がする。「つまりね、アメリカの大学人というのは、いわば社会的に孤立した存在なんだよ」とあるアメリカ人が教えてくれた。
(中略)
とにかく「NYタイムズ」を購読しておけばいい、とにかく「ニューヨーカー」を取っておけばいい(周りを見ているととっているだけで読んでいない人が多いようだ)、とにかくオペラを聞いておけばいい、とにかくガルシア・マルケスとイシグロとエイミー・タンを読んでおけばいい、とにかくギネス・ビールを飲んでおけばいい。日本ではそう簡単にはいかない。(抜粋終わり)
この箇所に妙に反応してしまいました。僕もアイビー・リーグ「大学村」に住んでいるので(エッセーの舞台は村上氏がプリンストン大学にいらしたときのこと)この雰囲気は実によく分かる。というか、自分もNYタイムズを購読(オンライン)していて、ニューヨーカーを取っていたことがあり(これもオンライン、取ってるだけで読んでないとこまで一緒、ガハハハ)、オペラ(モーツアルトの魔笛、フィガロの結婚)を聞いて、イシグロを読んで(というか所有して)、Allagash beerを飲んでいるので、かなり「アメリカ的まっとうな大学人的生活」に近い生活をしているかもしれません。
ちなみに「・・・しとけばよい」リストに一つ付け加えたくなったのは「カーラジオでNPRを聞いていること」です。この間同僚とご飯を食べていたら「昔は通勤に40分かかっていたのでNPRで充分世の中の事がキャッチアップできたが、最近は通勤時間が短いのでなかなかそうもいかない・・・」とぼやいていていて、おもわず「おお同士よ!」と叫びそうになりました。大学村の住人というのはかくも趣味が似通ってるのかと思い実に面白かったです。僕もまさに「もっと車の中でNPR聞いておきたい」派だったからです。
というわけで気づかぬうちに自分も案外と「大学村スノビズム」に染まっていっているのかもしれませんね。