Tuesday, October 17, 2006

漱石は赤シャツ

僕が楽しみに読んでいるブログ(でいいのかな?とにかくウエッブ上の日記ですね)の一つに、MADE IN JAPAN! in Americaというのがあるのですが、その中でも本のレビューが秀逸で、自分も思わずその本を買って読んでみたくなります。なかでも2005年の6月2日の日記にはすごく考えさせられました。やはりこの日記の作者の方もおっしゃるように、「漱石は赤シャツ」という部分に非常に驚かされるわけですね。驚きながらも実に納得してしまい、そして深く心を動かされるのです。 「脳と仮想」を読んでみたくなりますが、皆さんはどう思われます?以下にその日記から引用させていただきます。 (以下引用) やや余談ではあるが、「脳と仮想」の中に、著者が友人から、「『坊ちゃん』の中で漱石は主人公ではなく「赤シャツ」なのだ」と 阿部謹也が書いていたと教えられ衝撃を受ける話が出てくる。これには私もびっくりしたが、考え直してみるとまったくその通りだ。昔から、無鉄砲で直情径行 な「坊ちゃん」と憂鬱気質の漱石とは重ならないとは思ってはいたが、無理に納得していた部分があった。主人公の敵であり嫌味な男だからうっかり見過ごすの だが、この英文学好きのインテリ学士様にはまさに漱石が投影されているのだ。 著者の述べる、「自分が「赤シャツ」であるという痛みを自覚しつつ、「坊ちゃん」の世界観に愛情に満ちた共感を寄せて書いたからあの作品は深い」のだという主張には実に納得。そう、「マドンナ」を「うらなり君」から奪った「赤シャツ」の末路が「こころ」で最後に自殺する「先生」であり、それにもまた漱石の深い憂鬱が投影されているのである。 「漱石は「赤シャツ」」だ、というたった一つの命題でも、人間の心を深くゆさぶることができる。人間の記憶や認知、心の働きというのも実に不思議なもんである。

My friend gets the position

This morning I got the news that my friend gets the job position for next year - It is always good to know that someone gets what he/she deserves.